山頭火の生涯 〜 大道での酒造業 〜
〜 大道での酒造業 〜 | |
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種田酒造場跡(現在:金光酒造防府工場) | |
父竹治郎は、吉敷郡大道村(現:防府市大道)の山野酒造場を買い取り、酒造場をはじめる。正一は28歳の時、佐波郡和田村高瀬(現:新南陽市和田)佐藤光之輔の長女サキノと結婚する。翌年には長男健が誕生する。その中で、郷土文芸誌「青年」に参加し、文芸活動に入っていく。この時に初めて「山頭火」の号を使用する。萩原井泉水主宰の自由律俳誌「層雲」3月号に初入選する。大正5年4月、種田酒造場が破産する。山頭火は妻子をつれて友人をたより熊本に向かう。 | |
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