山頭火の生涯 〜 熊本から東京そして熊本へ 〜
〜 熊本から東京そして熊本へ 〜 | |
熊本で、古書店・額縁屋「雅楽多(がらくた)」を開業する。文芸誌「白川及新市街」に作品を寄せる。まがりなりにも生活をしていたが仕事に身が入らず、大正9年サキノと離婚し、単身上京する。東京市役所や一ツ橋図書館などに勤めるが長続きせず、大正12年9月1日関東大震災に遭遇し、熊本の離婚した妻のもとへ戻る。あらゆることで行き詰まった山頭火は、大正13年の暮れ、公会堂付近で市電の前に飛び出して市電を止めてしまう騒動を起こす。しかし、運よく市内の報恩寺の望月義庵和尚のところに連れて行かれ、寺男として住み込み、参禅の道へ入っていく。大正14年出家得度し、「耕畝(こうほ)」と改名し、味取(みとり)観音堂の堂守になる。 | |
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