山頭火の生涯 〜 松山へそして 〜
〜 松山へそして 〜 | |
松山へそして・・・・ 安住の地を求めて、句友のいる四国・松山に行く。御幸寺の門外に仮住まいとして「一草庵」を結庵する。俳友たちと「柿の会」を結成し、句会を開く。第七句集「鴉」、一代句集「草木塔」を刊行する。「草木塔」の扉には、「若うして死をいそぎたまへる母上の霊前に本書を 供えまつる」とある。中国、四国、九州へ最後の旅。10月10日句会。その翌朝、脳溢血で死亡。 |
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山頭火・・・「昭和の芭蕉」酒と俳句と旅大地主の子として生まれた身が、この世を捨て、一鉢一笠、澄みながら濁りながら、くる日くる日を行乞行脚の旅をつづけ、独自の俳句を作った種田山頭火。今や山頭火の名はあまねく知られ、社会の清涼剤としてその生涯が脚光を 浴びています。 | |
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