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金光酒造は、山口市の地酒として愛されています。酒造りへの磨かれた技、執念、徹底したこだわり熟練の技が醸し出す伝統の味をぜひご堪能ください。

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金光酒造株式会社

〒754−0897
山口市嘉川5031番地
TEL083−989−2020
FAX083−989−2021
 

 山頭火の生涯

〜 防府での誕生から母の自殺、そして早稲田大学へ 〜
明治15年12月3日 1882年 1歳 竹治郎を父にフサを母に、「種田正一」(本名)として生まれる。山口県佐波郡西佐波令村第136番屋敷
明治22年 1889年 8歳 松崎尋常小学校に入学。
明治25年3月6日 1892年 11歳 裏庭の井戸で母フサが投身自殺。
明治29年 1896年 15歳 周陽学舎(現在:防府高校)に入学。学友と謄写版の文芸誌を発行。
明治32年 1899年 18歳 県立山口中学校4年に編入。
明治34年 1901年 20歳 県立山口中学校卒業。
明治34年 1901年 20歳 東京専門学校高等予科に入学。
明治35年 1902年 21歳 早稲田大学文化に入学。同期に小川未明(のちに童話作家)がいた。
明治37年8月 1904年 23歳 神経衰弱により早稲田大学を中退して故郷へ戻る。
       
       
〜 大道での酒造業 〜
明治39年 1906年 25歳 父の竹治郎と山野酒造場を買い取り、種田正一(本名)の名義で酒造業を営む。吉敷郡大道村(現在:防府市大道)
明治42年 1909年 28歳 サキノと結婚。
明治43年 1910年 29歳 長男健誕生。
大正2年 1913年 32歳

自由律の排誌「層雲」に投句をはじめる。回覧雑誌「澪標(みおつくし)」で初めてペンネーム「山頭火」を使用。

大正5年 1916年 35歳 酒造業が失敗。父は女を連れて逃亡。山頭火は妻子を連れて、夜逃げ同様で熊本へ。
       
       
〜 熊本から東京そして熊本へ 〜
大正5年 1916年 35歳 古書店・額緑屋「雅楽多(がらくた)」開業。文芸誌「白川及新市街」に作品を投稿。
大正9年11月 1920年 39歳 サキノと離婚。上京して、一ツ橋図書館の臨時雇い。
大正10年 1921年 40歳 東京市役所事務員。
大正11年 1922年 41歳 東京市役所を退職。額緑行商をする。
大正12年9月1日 1923年 42歳 関東大地震に遭遇し、熊本の離婚した妻のもとへ。
大正13年暮 1924年 43歳 泥酔いして市内公会堂前で、熊本市電を止める。市内の報恩寺の望月義庵和尚のところに連れて行かれる。参禅の道へ。
大正14年 1925年 44歳 曹洞宗報恩寺で出家得度する。「耕畝(こうほ)」と改名し、味取(みとり)観音堂の堂守になる。
       
       
〜 九州路、中国路、四国路を歩く 〜
大正15年 1926年 45歳 一笠一鉢の托鉢の旅へ。九州地方行乞放浪の旅。防府にて改名届。
昭和2年〜6年 1927〜1931年 46〜50歳 山陽・山陰・四国・九州地方への行乞。熊本でガリ版刷同人俳誌「三八九」(一集〜三集)を発行。自筆ノート「行乞記」。
       
       
〜 川棚温泉そして其中庵の結庵 〜
昭和7年6月 1932年 51歳 川棚温泉・山口県豊浦郡川棚村(現在:豊浦郡川棚)に8月まで滞在。すっかり気に入り、庵を結ぼうとしたが挫折。第一句集「鉢の子」刊行。

昭和7年9月

1932年 51歳 其中庵(ごちゅうあん)を結庵。「三八九」(四集)。自筆ノート「其中日記」。
昭和8年 1933年 52歳 第二句集「草木塔」刊行。「三八九」(五集〜六集)。
昭和9年 1934年 53歳 福岡、広島、神戸、京都、名古屋へ旅に出る。
昭和10年 1935年 54歳 第三句集「山行水行」刊行。
昭和11年 1936年 55歳 第四句集「雑草風景」刊行。自筆ノート「旅日記」近畿、関東、甲州、信濃、北陸へ旅に出る。
昭和12年 1937年 56歳 第五句集「柿の葉」刊行。自筆ノート「其中日記」。
       
       
〜 山口市湯田温泉街に「風来居」結庵 〜
昭和13年11月 1938年 57歳 軒が傾き、壁の崩れ始めた其中庵を去り、山口市湯田温泉街「風来居」結庵。
昭和14年 1939年 58歳 第六句集「孤寒」刊行。近畿、東海、木曽への旅。自筆ノート「旅日記」、「其中日記」。
       
       

〜 松山へそして 〜

昭和14年12月15日 1939年 58歳 句友を頼って松山へ。「一草庵」を結庵。
昭和15年 1940年 59歳 第七句集「鴉」。一代句集「草木塔」刊行。自筆ノート「松山日記」。中国、四国、九州への旅。
昭和15年10月11日未明 1940年 59歳 松山市一草庵で死亡。

 

 
 
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